鬱的人生観からの解放

心療内科通院中の現在無職。こころと体をより健やかにしようと日々ゆるく頑張ってます。Twitterやってます→@kyu_shi_chan

被写体を経験してみたこと、成長したこと、自分の価値。(3月9日のカウンセリングで話したこと)

もう4ヶ月くらい前のことですが。
今年の2月に、「ポートレート」などに憧れて、私のことを撮ってくれるという方が見つかったので、初めて被写体を経験することになりました。
その時のことを書きます。

撮影当日は、カメラマンさん(男性)が泊まっているホテルの部屋で撮影するということで、その部屋に行きました。
なぜそんな危ないことをしたかというと、もし性行為など迫られても「まぁ、いっか」、と思っていたからです。
今は考えや自分の扱いを改めましたが、この当時は機会があれば結構誰とでも性行為していました。
なぜそういう風になったのか、などは、また別の記事で改めて書きたいと思います。
今日は2月の撮影で起こったこと、その時私が感じたこと、そのあと考えたこと、などを書いていきます。

結果から言うと、案の定性行為を迫られました。
確かに、男性に下心があったのも事実だとは思いますが、私が「そういうことをしてもいいですよ」という風な雰囲気を醸し出していたから、というのも大きいと思います。
その時は別に性行為自体が嫌だった訳ではなかったので、普通に行為を受け入れて、行為を済ませました。
だた、性行為をする前と、した後で、カメラマンさんの撮影に対する態度がかなり変わってしまったのが、悲しかったです。
性行為をする前は、私が初めて被写体をするということもあってか、ポーズ指定などアドバイスもしてくれて、かなり丁寧に撮ってくれていました。
ですが、性行為を終えた後は、ササッと何枚か撮って「はい、終わり」。という感じに。
「セックスをしたら後は用済み」と言われているみたいで傷つきました。
あと、私は体型がぽっちゃりしているので、「セフレとしてはいいけど被写体としてはね〜」というようなことも言われて、それも相まってかなり精神的に追い詰められました。
「自分が悪い、自分のせいでカメラマンさんのやる気が出ないんだ」とかそんな思いがぐるぐるして、カメラマンさんの顔色を伺ったり、びくびくしてしまっていました。

でもここで、思考の転換が出来ました。
まず、被害者の座を降りよう、と思いました。
「自分のせいでカメラマンさんのやる気がでないんだ」って思いっきり被害者的な思考ですよね。
実際、カメラマンさんは「君のせいで撮る気が起きない」など一言も言ってませんでした。
なので、相手の立場に立とうとしてみました。
具体的には、「相手の顔色を伺って勝手に相手の内心を決めつけ」たり、「相手の発言にそれ以上の意味を持たせるのをやめ」ました。
すると、「私は関係なくて、ただ単にカメラマンさんの気分が乗らないだけだろう」「きまぐれだろう」「もう沢山撮ったから撮るのに満足してしまっただけだろう」などと思えて、少し気が楽になりました。
思考の転換をする前は、泣きそうで、「もう帰りたい」という状況だったのですが、思考の転換が出来て、なんとか撮影を最後まで乗り切れました。
室内での撮影が終わって、カメラマンさんの、「野外でも少し撮ろう」という提案にも応じることが出来ました。
一応、笑うこともできるようになっていました。
まとめると、思考の転換によって、
・顔色伺いがましになった(完全にやめるのは出来ませんでしたが)。
・カメラマンさん任せじゃなくてその時の精神状態が許す限り、積極的に主体的に、撮影に参加してみることができた。
このように、だいぶ精神的姿勢を変えられたと思います。
やはり辛い体験ではありましたが、自分の精神的成長を感じることができました。


撮影後の心境としては。
「セックスで用済み」のように、自分を粗末に扱われたことはやはり悲しかったです。
やっぱりその悲しみは少し引きずりました(今思うと、自分を安売りしていたんだから、他人からもそのように扱われて当然、なんですけどね^^;)。
ちなみに現在はそのような心境は吹っ切れていて、元気いっぱいです(笑)
私は、SNSに自撮りやコーディネートなどを載せているのですが、この件を境に心境が変わりました。
この撮影の前は、自分を商品のように扱っていたので、例えばいいねの数など、自分の価値を外側に委ねていました。
でも今は、「自分の価値は自分で決めよう」というような姿勢でやっています。
自分の現状を認め、自分の個性的な部分も気に入っています。
そりゃ、人間なので、たまにその気持ちが揺らぐこともありますが。
いいねの数などは、現在でも気になってしまいます。でも、前より気に病まなくなったと思います。

それと、人間の価値は外見だけでは決まらないんだな、ということを実感しました。
なので、外見ばかり気にするのではなくて、内面の方も見つめていこう、という気持ちが強くなりました。
もっと広い意味で魅力的な人間になりたいな、と思うようになりました。

あとは、芸能人なども含め、自分を商品として売り出していく職業って並大抵のことじゃないんだな、と思いました。
この時の私みたいに、ふらふらした気持ちや、ちゃらんぽらんな気持ち(たとえば「ちやほやされたい」とか)では勤まらないんだな、ということを実感しました。
たとえ趣味だとしても、自分以外に協力してくれる人が出来た時点で、やっぱりそれなりの責任って生まれるんだ、ということにも気づきました。
この撮影でははそういう姿勢が欠けていたな、と反省する部分もあります。
遊びのような気持ちで臨んでしまっていたので。

なので、表現活動している人ってすごいんだなぁ、と改めて思いました。
たぶん、自分の価値を自分で決められるからそこ、コスプレイヤーだって、グラビアアイドルだって、AV女優だって出来るんだろうなぁ。
真面目に向き合っているんだろうし、ただ「ちやほやされたい」という気持ちだけで大成してる人なんて居ないんだろうな、そこにはプロ意識があるんだな、という風に思いました。


この撮影では辛い思いもしましたが、勉強になったことが沢山ありました。
やっぱり、やったことないことに挑戦してみるのは大変なことですが、得る物も多いですね。
長くなりましたが、書きたいことは書けました。
ここまで読んでくださった方(もちろん途中まででも読んでくださった方も)、ありがとうございました*