鬱的人生観からの解放

心療内科通院中の現在無職。こころと体をより健やかにしようと日々ゆるく頑張ってます。Twitterやってます→@kyu_shi_chan

このブログを読むにあたって

これから、少しずつ心療内科やカウンセリングでメモしたことなどを投稿していきたいと考えています。
それらを読む前提として、治療方針のことなどをここでは簡単に説明したいと思います。
とりあえず今は簡単に済ませますが、追い追いもう少し詳しく書いていきたいと思います。

今は時間が無いので、治療方針の根幹を教えてもらった2017年の3月16日の心療内科での診察の記事の内容を移転前のブログからコピペします。
時間のある時にもっと整理して書きたいと思います。


↓以下、前ブログからのコピペ↓

 

・やりたいことの自己調整が出来ない。どこまで飛ばしていいのかわからない。
については、やる事を、やりたい事の「半分以下」に留めるといいそうです。
用事を1日にたくさん入れるのはダメみたい。
1日1個とかが理想らしいです。
あとは1日動いたら1日休む。
「毎日コンスタントに何か出来る」ということは今の段階ではないので、目指すのはやめた方がいいとのこと。

 

今のテーマ的には、エネルギーを消費せず生きるのが目的、らしいです。
いかに動かないでいれるか。
上がっている時、調子いいときも動かない、活動を我慢。
そういう動き方に慣れていこう、とのこと。

やっぱり調子が良いときって調子悪かったとき何も出来ない分フラストレーションが溜まっているというか、沢山やりたくなるそうなんですね、私以外の皆さんも。やりたい事の帳尻合わせみたいな感じで。
でもそこで我慢せずにガーって動くと、またずどーんと落ちて、その波の繰り返しになってしまう。
でもセーブしていくと、まず、その波が小さくなる。そして、そうして過ごしていくうちに、長い目で見て調子が上がってくるそうなんですね。そして「やりたい事」の帳尻も長い目でみて合ってくる。

 

なので、いっぱいいっぱい動かずに、活動をセーブしていって常に余裕や余力を持ちつつ過ごしていく、というのが今、大切なことです。

9月18日 診察、近況を少し

先月の26日更新のブログで、「過去の記事振り返っていくよ〜」

みたいなこと言ってた訳ですが、普通に4日くらい更新してなかったですね。

何してたかというと、まぁ、7割くらいは遊んでました。充電してたとも言う。

その辺のことは書けたらこの記事の最後に書きたいな、と思います。

とりあえず、先月18日の診察を振り返っていきたいと思います。

 

一個前の記事

discf.hatenablog.com

でも書いたように、先月は大いに荒れてました。

簡単に書くと。

・8月31日に7~8月の振り返りをして、「頑張りすぎててやばい」と思ったので9月は休もうと思っていたが、休みに徹せなかった。(本当は全てを放り出してでも休みに徹しないといけないほど心身がやばかった)

・具体的には、やるべきことをしていたり、現実はどんなもんなのかというの(例えば一人暮らしするとしてかかる費用とか)を調べて、普通までの道のりが遠いことを実感したりしていた。

・なぜか「できる気」になっていて、自分に出来る以上のことを自分に求め過ぎていた。

・人と比べてしまったり、頑張りの結果が出なくて、辛くなったりした。

・実際には誰にもそう言われていないが、「甘えている」「本当はできるのに、怠惰をしている」という風に思われているのではないか、と被害妄想に駆られたりした。

・上記のことプラスαが重なったりして、精神的に逼迫して、3時間泣き続けたり、ODしたり、レグカしたり、やけくそになって髪の毛を適当に切ったりした。

・先月は2回バイトが入っていたが、結局1回しか行けなかった。

 

みたいな感じです。

これを大体伝わる感じで端折って伝えました。

すると、「思い込みが激しいね」と言われました。

「ちょっと出来たら全部出来る気になっちゃってる。外から見てると一人相撲しているみたい。(実際には何も起こってないのに、自分で自分を駆り立てて追い詰めちゃってる、ということなのかと思います)」

「もう少し、客観的な目が欲しいね。」

とのことでした。

う〜ん、確かに。

一個前の記事でも書いたように、先生に注意するように言われていたことを怠って暴走して勝手に荒れていたのは、本当に客観視が足り無かったし、一番やらかしたらダメなことをやっちゃってた感がすごいです。今振り返って。反省。

あと「思い込みが激しい」ってのも本当に的を射ていて。

今回のことに限らず、私は思い込んだらそこしか見えなくなりがちなんですよね。

これは結構自分の短所だなぁ、と思っています。良いように作用する場合もあるかとは思いますが。

でもそこもやっぱり客観視していくことで、ある程度までは解決出来そうな気がしています。

客観視して、ある程度の余裕を持ちつつ、いろんな視点で考える。というのが出来れば、この「思い込みの激しさ」も少し緩んでくるんじゃないかなぁ?と思います。

あと、今回先生にバッチリ指摘されて良かったな、と思いました。

「自分には思い込みが激しい所がある」というのを明確に自覚出来ただけで、だいぶこれからの助けになりそうな気がしています。

少し話がそれますが、私は最近ジェンダー関連のことで悩んでいて、今振り返るとそこにも「思い込みの激しさ」がきっちり反映されてるなぁ、と思ったので。

それに対しても少し違う角度から見てみてもいいのかなぁ、と今ふと思いました。

 

次。

・これまでの全体的な傾向として、「活動しすぎる」傾向があると自覚している。「現状」「今できること」があるとして、その一歩か二歩くらい先のことを目指してしまう、実践してしまう。自分でも早まっている感じがする。

これに対して先生からは、「先先行っちゃうのは客観視が下手くそなんだと思う。」と言われました。

確かに...というか、今回はその"客観視"自体を怠っていましたからね・・・

この点に関しては完全に私の怠慢です。

続いて先生からの助言。「上手く行っている時の方が注意が必要。あと、自分がしたこと、出来たことに対して、評価はするけど、それがハードルを上げるということに直結しないといい。もう少し現状で頑張ろう、となれるといい。」

なるほど。。。

全部納得です。確かに今回ハードルをすぐに上げ過ぎていました。

さっきも書きましたが「できる気」になって。

しっかり客観視・振り返りが出来ていれば、少しはマシだったかもしれません。

 

何回も同じ記事のリンク貼って申し訳ないですが、この記事でたびたび登場する「客観視」や「先生に注意するよう言われていたこと」の具体的な内容は↓この一個前の記事に詳しくかいてあります。

discf.hatenablog.com

 

最後!

・精神が落ちる前、やたらとイライラすることが増えるのに気付いた。その時点ではどう対処したらいいのか? 

先生からの答えは、頓服と運動!でした。

これ、とりあえずはストレスへの対処ってことですよね。

それならここに「寝る」ってのも追加しても良さそうだなぁ。なんだかんだ、寝るのは一番回復する気がするので。

でもイライラして眠れない時なんか、確かに運動は良さそうです。

あと頓服ももっと上手く使っていけるよう努力します。

 

 

で、この記事の冒頭で軽くこの4日くらい何をしてたか、について触れましたが。

それについてもう少し詳しく書きたいなと思います。

先月の26日辺りには心身ともに大分回復していたとはいえ、充電がほぼ底を尽きているような感じでした。

なので、とりあえず充電をするのが今やるべきことだな、と思い、沢山活動するのを控えていました。

あと、体の疲れも残っていたのか、怠かったり、妙に眠かったりすることも多かったので、結構寝てたりもしてました。

あとは娯楽をしていました。楽しいことをするとなんとなく心が気持ち良いです。

そんなこんなで、少しは充電溜まってきたのか、最近は政経の勉強も少しずつですがするようになりました。

話はそれますが、私は社会の様々なことに興味があります。

それで、新聞を読んだり、ニュースを見たりするのですが、恥ずかしながら分からないことがとても多いのです。

なので、一旦ちゃんと勉強しよう!と思って、少し前に大学受験用の政経の参考書を買っていたんですね。

まぁ、でも政経のテストを受ける訳ではないので。そんなにしゃかりきにならず、読み物として楽しく読んでいます。

 

最近はそんな感じでした。

ブログ振り返り記事は随時更新していきたいです!

でも、一番は余裕・余力を残して5割で活動するのが大切なので。

のんびり更新にはなるとは思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

"甘え"ずに"ちゃんと"しよう!

昨日ツイッターの方でつぶやきましたが、「今の自分は甘えているな」と昨日強く感じました。

↓このツイートですね。

 

そう思うに到った理由は8月辺りからの自分の"活動の仕方"にあります。

ここでは7月辺りまではどのように過ごしていたか、記事にしていましたね。

discf.hatenablog.com

まぁ、簡単に言うと、短期(1ヶ月)集中のちょっとキツめのダイエットを無事やり遂げた所でした。

そのダイエットが大変で、今まで習慣にしていたことが疎かになっていたな、と今振り返ると思います。

その「今まで習慣にしていたこと」とは、私がこれまで心療内科の診察で、「私が回復に向かうように、先生がアドバイスしてくれた事」が多かったです。それを実際に実践していたような感じです。

まぁ、それも完璧には出来ていませんでしたが。

 

それで、8月になっても(ダイエット集中期間が終わっても)その習慣はなかなか戻りませんでした。というか、真剣に戻す気にはなれてませんでした。ふわふわした気持ちで、「まぁ、出来なくてもしょうがない」くらいに思っていました。これが後に自分の首を締めることになるのですが。。。

 

7月の少し厳しめのダイエットを計画通りやり遂げた私は、変に自信をつけてしまっていました。かなり短絡的なのですが、「体力増えた」「バイタリティ増えた」「この調子なら、このまま行けば、"普通の人"みたいになれるんじゃないか」といった具合で。

しっかり8月9日の診察でも「体力ついたからといって活動し過ぎないように」と注意を受けていたにも関わらず、

discf.hatenablog.com

それを結果的には無視して活動してしまっていました。

具体的には、

・(ダイエット期間の延長のような感じで)運動

・在宅バイト(アンケートモニターなど)を根詰めてやる

・単発のバイトの説明会に行く(実際に仕事が入ったのは9月でした)

・図書館に通う

・その他読書や娯楽

こういった具合で活動し過ぎていました。

病院の先生からのアドバイス、「習慣にしていたこと」も疎かなままでした。

因みにそのアドバイスとは、大まかにですが、

・活動を時間で区切る。大体30分に1回くらいは休憩を挟む。(私は過活動のきらいがあるので、キッチンタイマーなどを使ってそれを防ぐ)

・1日の終わりにその日の振り返りをする。(前のめりになってしまいがちなので俯瞰視、客観視をする)

・余裕、余力を残して生活する。具体的には5割くらい(を目標に)活動を制限する。

・早寝。とにかく早起きより早寝が大事だとのことでした。勿論早起きも大事なのですが、早寝からリズムが作られる、と。

といった感じで、活動し過ぎる傾向が強く、休むのが苦手な私の為のものでした。

 

少し話が逸れましたが、こういった無茶な生活を続けてどうなったかと言うと。

まぁ、当たり前なのですが調子を崩しました(大体8月後半~最近まで)。

私が疲れたときにしてしまいがちな行動がいくつかあるのですが、それを一通りしてしまっていました。

まず、過食嘔吐、そしてOD、自傷行為(刃物で体を切るなど)、ツイッターなどに愚痴を沢山書き込む。

気持ちの面では、極度の気分の落ち込み、極度のイライラ、何時間も泣き続けたり。

自分の現状を人と比べてしまったり、最後には自暴自棄になって生活リズムをめちゃくちゃにしようとしたり。

あと、9月にバイトを2日だけ入れていたのですが、片方をお休みしてしまいました(一応事前連絡したのでドタキャンなどではなかったですが)。

 

私が昨日強く「甘えだ」と感じたのは、最後に書いた「自暴自棄な気持ち」なんですね。

正確には「自暴自棄な気持ちに連なる気持ち、行動」といった所でしょうか。

 

勿論、今振り返ればそもそも"習慣"を怠っていたことなども甘えだと思います。

でもあの当時の自分は必死で、幾分かは仕方がない部分があったと思います。

その反動で精神的に落ちまくったことも、バイトをキャンセルしてしまったことも、まぁ、世間的に見れば甘えなのかもしれません。

でも私としては「能力の限界だった」というだけで甘えだという認識ではないです。

 

ですが、一通り落ち込んで、それがやっと落ち着いてきたのに、なんとなくだらだらしている、"習慣"を大切にしようとしない自分に気付きました。

そして強く「甘えるな自分」と思ったのです。

だってこの"習慣"って、今私が1番やるべきこと、仕事、のようなものなんです。

今の私は療養中ということなので、とにかく「回復に務める」のが1番大切なはずです。

また「回復に務める」のが許されている環境に居るのです。

これはとても恵まれたことだと思います。

心療内科の先生の親身なアドバイス、恵まれた環境、これらを踏み躙って投げやりな気持ちで怠惰をする。

これ程甘えていることってないと思うのです。

こんなんだから私は自立出来ないんだと思います。

とても恥ずかしいです。

本当はこの記事を公開するのも恥ずかしいくらいです。

でも、記録しておきたくて、書きました。

それと、自分を変えたくて。

もっと、真剣に、今やるべきことを頭を使ってしっかり考えて、自分の人生を捉えて行きたい、生きていきたいのです。

だから、書きました。

甘ったれた自分とはおさらばします。

腹を括ります。

 

 

余談。

明日から、気を引き締める気持ちで、今までの診察記事を読み返して、軽くまとめ、書いてあることを、今現在出来ているか判断していきたいと思います。

「病院の先生からのアドバイス」、そして自分で気付いて「こうした方がいいな」と思ったことなど。

箇条書きのような簡単なものになってしまうと思いますが。

それと前述したように「5割で活動を」と言われているので、あまり無理はできないです。

なので、毎日ではなくて、不定期の更新になるかとは思います。

 

意識が途切れないように、でも上手く息抜きはしながら・・・

頑張りすぎないように、頑張ります。

6月28日 診察

今更ですが、6月28日の診察記事を書きます。 大切なことなので確認がてら。

・主体性を取り戻した話。主客が逆転してた。
↓詳しく。
6月中旬くらい、急に色々な物事に縛られている気がして嫌になった。
今まで、「何をするか」や「何が好きか」で自分が決まると無意識に思っていたみたいだった。
だけど、まず自分という軸、主体があって、その上で「何をするか」「何が好きか」が決まる、ということに気付いた。
だから何をしてても、たとえ今とまったく違う外見であったとしても、私は私で変わりはない。

これに気付いてからキャパシティが増えました。前より疲れにくくなったけど、過活動じゃなくなった感じです。
でも、その「過活動じゃない感じ」「疲れてない実感」ってどのくらい当てにしていいのかな、とちょっと疑問。
当てにしていいかどうかを分けるのは、①一歩引けているか ②余裕があるか 辺りかな?と思っています。
ちょっと診察時のメモに明確に記載が無いので、うろ覚えですが、これについては先生も「そうだ」と言ってくれていたように思います。

で、この診察の時から約2ヶ月経った今ちょっと引っかかった部分があります。
「何をしてても」私は私で変わりはない。という部分に関しては今現在もそう思えているのですが。
「たとえ今とまったく違う外見であっても」私は私で変わりはない。という部分に少し引っかかりました。
今現在、そういう風には思えていないな、と思います。
私自身、過去に摂食障害になった程体型に悩んでいた時期があります。つまりそれほど容姿についてのこだわりやとらわれが強いんですね。
6月頃は上手くその辺のこだわりやとらわれをゆるめられていた時なのかなぁ?と思います。
なんというか、「外見は全然私の本質じゃなくて、私の本質は魂にあって、その魂が変わらなければ、外見が変わったって私は私である。」という感覚でしょうか。
今もなんとなくその感覚も持っているのですが、6月頃よりは容姿に対しての執着が強くなっているな、と感じます。
それがいいのか悪いのかはよく分からないですが。。。
でもたぶん執着が薄い方が生きやすいのかなぁ?とは思います;;


・余裕ってなんだろう?
↓先生からの解答
そこで、立ち止まって考えられること。
いっぱいいっぱいだと考えられなくなって、過集中とか視野狭窄に陥る。
「大丈夫かな?」と思えること自体が大丈夫。
選択をしている(考えている)時点で余裕あり。
その選択も練習なので、失敗しても悪いことではない。
だそうです。
この時(6月頃)の私は結構立ち止まって「大丈夫かな?」と振り返りながら生活できていたので、余裕があったということになるそうです。
この話はまた長くなりそうなので、別の機会に書きますが、7月〜今月にかけて、暴走してしまって(活動し過ぎてしまって)かなり調子を崩しました。
振り返ると、立ち止まって「大丈夫かな?」と自分の状況をよく確認せずに物事を推し進めていってしまっていたな、と思います。 これは大きな反省です。
結構前の診察で、「1日の最後にその日の振り返りをしよう」と言われていました。
それがおろそかになっていたなぁ、と思うし、なんならここ数日の間でもおろそかになっているので、きちんと習慣化していきたい所です。


・今の所は「自分のペースで」というのを大切にした方がいいのか。
「自分のペースで出来ないこと(例えば仕事とか)に、主体性を介入させる」ということはまだ難しくて出来ないと思う。

これについて明確にyesかnoで答えてもらったかどうか覚えてないのですが、「今は社会とそこまで接点無くて、自分の世界を作っている最中だよね。」という風なことは言われました。
あとは、"主体性"とか"コントロール感覚"のことを話してくれました。
嫌なことやらないといけないにしても、物事にコントロールされているのではなくて、自分がその物事をコントロールしている感じを持てるといい。
物事に巻き込まれないことが大切だ、と。
主体は自分にあるのであって、物事に主体があるわけじゃない、そこの所が大切だということでした。

洗濯機を例にした例え話をしてくれました。
洗濯機ってぐるぐる回ってますよね。それが「物事」であるとします。その「物事」(洗濯機の回っている部分)に自分も入ってしまって、一緒に回ってしまうとダメだそうです。一緒に回ってしまうと物事全体が見渡せないし、流されるままになってしまって、主体性を介入させられなくなる。
あくまでも、洗濯機を回しているのは自分なんですね。一緒に回るのではなくて、回っている所を外から見る。つまり物事を操作しているのは自分だということです。これがまさに"コントロール感覚"ですよね。
「回っている所を外から見ている」ということは、物事全体を見渡せている、俯瞰の視点で自分を見れている、客観視出来ている、ということだから、視野も広いし、自分がどう動くべきかということも見えてくる、ということだと思います。

今書いた、"コントロール感覚"と"主体性"、この2つをしっかり持てていると、ストレス度がグッと下がってくるそうです。
「主体性が持てている」とは、一言で言うと、「自分のすることを自分で認めている」ということだそうです。

昔の私のことを少し思い出したのですが。
昔の私は、何か自分のしたことを褒められても、あまり嬉しくなかったし、なんだかそれに対して違和感があったんですね。
それって主体性が無かったからなんだなぁ、と今になって気付きました。
この記事の最初で書いたように、私は、この6月中旬にやっと主体性の片鱗を掴みました(「何をするか/好きか」で自分が決まるのではなく、自分という軸があって初めて「何をするか/好きか」が決まると気付いた、という話のことです)。
なので当然、それまでは主体性が無かった、つまり、自分のすることを認められていなかったんですね。
自分で決めたはずのことでも、他人の目を気にして決めていたり、周りに流されるまま決断してしまっていたので、「不本意でやっている」みたいな感覚になっていたんだと思います。
自己肯定感の低さから、なんとなく自分を認められなかったこともあって、自分が好きでやっていることでも、ちゃんと認めてあげられていなかったのだと思います。
「そりゃ、評価されても嬉しくないよね。」と今腑に落ちました。


この時の診察の総括としては...
失敗も経験。
立ち止まって(しっかり自分を俯瞰視、客観視して)自分で選択したという事実が大切。
結果はついてくるもの。
ということでした。
なので失敗しても、また選択していけばいい、ということですね。
今は練習している最中みたいな所なのかなぁ、と思います。
「この感じを保持していけるように。」とのことでした。
で、ちょっと最近(7月~9月)の自分を振り返ると全然「この感じ」を保持できて無かったなぁ、と。
これからは、前ばかり見て突っ走らずに(洗濯機の中身と一緒に回ってしまわずに)、しっかり自分を振り返って自分の意志で選択していきたいです。



余談なんですが、主体性の話をしていたときに、先生が「社会と接点を持つと、もう一つ軸があるといい」と言ったんですね。
それってコントロール感覚のことなんでしょうか?
時間が無くて、その「もう一つの軸」がどういったものなのか聞けなかったのですが...。
また聞けそうなら聞いてみたいと思います。

8月9日 診察

この記事は、1つ前のエントリーを読んでもらうとより内容がわかりやすくなると思います。

discf.hatenablog.com

 ↑こちらの記事です。

では、診察の内容に入っていきます。
・ダイエットで運動を頑張って体力やキャパシティが増えた感じがしているが、これからの活動量はどうすればいいのか?
これについては、体力がついたからといって、すぐに使うべきではないそうです。温存しておいて、必要な時に出せるようにするのがいいのだとか。なので、前から言われていたように、活動を10できるとしたら5に抑える必要がありますね。これはなかなか出来ていない所なので(ついつい活動しすぎてしまう)もっと力を入れて頑張っていきたいです。
あと、今まで「休息日の活動は1時間半」という風に言われていたのですが、今の状態だったら、「気持ちよく休めて、でもちょっと活動したな」くらいがいいそうです。結構自分の感覚頼りなので難しそうですが。。。最近活動日と休息日がなぁなぁになっているというか、ちゃんと区切れてない(管理できていない)ので、ちょっと意識して休息日を作るようにしてみたいな、と思います。
あと、重要ポイントを教えてもらったのですが、休息日は"脳"を休めるのが目的なんだそうです。なので逆に運動はリフレッシュになって良いらしいです。先生からは「休息日は運動メインにしちゃうのもいいかもね」と言ってもらえました。最近は運動習慣をしっかり作っていきたいなと思っていた所なので、これを聞けて嬉しかったです。

・今回のダイエットで、どんな時でも1歩引くことの大切さを実感した。ただ、時には「がむしゃらに頑張る」というのが必要な時もあると思う。その辺はどうしたらいいのか?
これは、1つ前の質問と繋がってますね。普段は温存しておいて、頑張り時に一気に出す(使う)。ただ注意されたのは「使い方に気をつけてね」ということでした。気力や体力がすっからかんになるまで頑張ってはいけないということですね。がむしゃらに頑張る時にも、余裕を忘れずに、少しは気力や体力を残しておくのがいいそうです(むずかしい><)。自分としては活動にメリハリをつけることや、上手い息抜き、あとこれは使い方の話と関係がありますが、「どれだけ頑張れるか」の見積もり、なんかも大事なんじゃないかなぁ、と思っています。

・活動は、活動時間というより活動内容(密度)な気がするのだけど、その辺はどう管理していったらいいか。
これについては、「(質や量を)どれだけ詰め込むか」ってことだよね、と。今の私の段階だったらそろそろどれだけ詰め込むと疲れて、どの程度で抑えるとそこまで疲れないか、っていうのを意識して認識できるようにしていってもいいんじゃないかな?とのことでした。でも、引き続き「時間で区切る」という意識は持ってね。とのことでした。
そうなんですよね。。。今まで活動する時は必ずキッチンタイマーで時間管理をしていたのですが、最近それがおろそかになってきてるんですよ;;その辺もちょっと気を引き締めてもう少ししっかり管理をしていったほうがいいよね、と思います。
あとどの程度の密度で疲れるのか、という判断ができるようになってくると、もっと活動の自由度が上がりそうですよね。でもその辺は私の感覚頼りになるので難しいし、やっぱり感覚で管理するようになったらより一層「時間」という軸も大切にしていきたいです。「時間」と「感覚」、両方の要素を総合的に照らし合わせて活動や休息の見積もりをしていけるようになりたいです。


で、診察を振り返って、今私が出来ていないことでやるべきこと。
1,キャパシティの5割に活動を抑える。
2,活動日と休息日をしっかり区切る。メリハリをつける。
3,活動はキッチンタイマーや時計などで大体の時間を把握するようにする。
4,どの程度のことをしたらどれだけ疲れるのか、というのを意識しつつ生活する。
こんな感じですかね。

余談。やっぱり診察内容を記事にまとめるのって大事ですね。目標が明確になる気がします。
動けるからといって動き過ぎないように、気をつけていきたいと思います。

近況。7月頑張っていたこと。

お久しぶりです。
7月はダイエットを頑張っていました。
というのも、ある目標があって、それに向けてのダイエットでした。
その目標が具体的にどんなものかは、また機会があれば書きたいな、と思います。

1ヶ月頑張って、なんとか4kg体重を減らしました。
どんなことをしていたか、というと、シンプルに食事制限と運動です。
今まで運動習慣が無かった私にとって、結構な強度の運動を毎日、というのは思いの外しんどくて大変でした。
あと、今まで食事はお惣菜やお弁当が多かったので、自炊することにしていました。
それも結構大変だな、と感じました。
毎日自分の食べるものを用意するのがこんなに大変だなんて。
直接的に大変だったのはそのあたりかなぁ?

間接的に大変だったのは、やっぱり自由な時間や休んでいる時間が少なくなってしまったことです。
運動や自炊をしていると、時間ってすぐに経つんですね。
そうしていると自由時間って本当に少なくなってくる。なのでここの更新も出来なかったというわけです。
もちろん物理的に自由時間が削られていたのも事実ですが、私の場合、精神的な側面からの要因も大きかったかな、と思います。
私は様々なことを同時並行的にこなすのが苦手なので、1つのことに集中しだしたら「そればっかり」になってしまうきらいがあります。前のめりになってしまう。
そうすると、精神的なバランスを欠いて、余裕が無くなってくるんですよね。
週に1度は運動休憩の日を設けるようにはしていたのですが、運動を休んでいても、なんとなくダイエットのことを考えたり、ネットで調べたりしてしまって、上手に休息をとれないでいました。
それでやっていけなくなりそうになって、3周目の運動休憩の日にやっと心の底からの休息をとれるようになりました。

このダイエットでは、色々学ぶことがありました。
主に心の持ちようとか、心の姿勢とか、自分のマネジメントとか。
ダイエット期間中、5回くらいは本気で「ダイエットやめたい...」と思い悩みました。
でも、どうしても自分で決めた目標(1ヶ月間ダイエットを頑張ること)をやり通したい。という気持ちがありました。
こんな風に、自分の為の、自分が挑みたいと思える目標を立てて、前向きに努力する。という経験は生まれて初めてだったんじゃないかな、と思います。
今までの人生で受験だったり、頑張ったことは沢山ありますが、どれも「やらされている」感覚でした。
でも今回は自分が「やりたい」ことだったのです。
だからこそ、やめたくなっても、どうにかして続けていけるよう工夫して、やり通すことが出来ました。
今回自分が試行錯誤して大切だな、と思ったのは、
・主体性を持つこと
・前のめりにならず常に1歩引くこと
・完璧主義に陥らないこと
・自分のネガティブな気持ち(今回だったら「やめてしまいたい」とか)を否定せず受け入れ、優しくすること
・「今」に集中すること
・「自分がどう感じているか」を基準にすること
・自分を大切にすること
・身なりをきちんとすること
・睡眠をしっかりとること、早寝すること
・メリハリをつけること
と、書き出したら沢山になってしまうのですが、大体こんな所です。

あと、AH(アティテューディナル・ヒーリング)など、水島広子先生の本でもよく書かれていることで、今回凄く実感したのは、「同じことをしていても、どういう気持ちで取り組むかによって受け取るものが全く変わってくる」ということです。
AHで言うとまさに心の姿勢を「怖れ」から「あたたかいこころ」に変えるということなのですが。
やりたくないことをする時など、まだまだ上手く出来ない時もありますが、このダイエットではそれを少し練習出来たのかな?と思います。


ダイエット期間が終わった今ですが、リバウンドしないように、食事は少しずつ元に戻して行っていて、運動もゆるやかにですが続けています。
今の所、いい感じでキープ出来ているので、この調子でゆるく頑張っていけたらな、と思っています。

自分のやりたいことを、主体的に、前向きに頑張ることってなんかいいな、と思わせてくれたダイエットでした。
そりゃ振り返ると辛いことは沢山ありましたが、それでも「悪くなかったな」と思います。
達成感も味わえたし、いい経験になったのかな?と思います。
これからの人生、目標に向けて頑張る機会ってのはまだまだあると思うので、今回のことをどんどん生かしていけたらな、と思います。

苦しいです

今の心境をあまり整理せずにそのまま書くので、文章がわかりにくかったら、すみません。

今、自分が何なのか、何が本当の自分なのか、が分からなくて苦しいです。
この、「自分が何なのか、何が本当の自分なのか」という言葉も本当は的確ではなくて、的確な表現が思いつかないんです。
でも、大体こういう理由でしんどいんだな、と思って貰えれば大丈夫です。

そもそも何故こういう心境になったか。
6月中旬くらいに部屋に寝転んでたら、急に嫌になったんです。
視界に入るポスターや、本や、DVD、その他色々趣味の物。
そういう「モノ」に縛られている気がして、本当に嫌になりました。
居ても立っても居られなくなって、ポスターは全部剥がし、本などはほとんどをダンボールに詰めて目に入らないようにしました。

そして考えました。何でこんな心境になったんだろう?とか。
それで気づきました。
主客が逆転してたんだと。
そうなった経緯は省きますが、ほんの1、2年前まで、私は「他人の目」を気にして生きていました。
「他人からどう思われるか」それによって、何もかも決めてしまっていました。
なので、自分が「何をするか」「何を好きか」などによって、自分が決まると無意識のうちに思っていました。
でも違ったんだと気づきました。
まず「自分」という軸があって、それで初めて「何をするか」「何が好きか」が決まるんだと。
だから、今まで自分が「好き」だと思って集めて居たものに囲まれているのが、縛られているように感じてしまって、嫌になったんですね。

なので一旦真っ白にしようと思いました。
それで、こころの赴くままに過ごして、6月の後半くらいには、なんとなく、「今まで好きだったもの」を変わらず追いかけている、という状態に落ち着いて居ました。
まぁ、外側から見たらほぼ前と変わらないってことですね。

それでなんとなく過ごしていたんですが、昨日辺りから、また違和感を抱き始めたんです。
「なんか違う」と思ってしまいました。
別に、今まで好きだったものを嫌いになったとか、そういう訳ではないのですが、もっと心が輝くものって、自分が追いかけているものじゃない所にあるんです。
魂が求めているものって言うんでしょうか。大仰な言い方になってしまいますが。
それはもっと違う所にあるんです。
心が輝く瞬間って今までに少し経験していて、その時の感覚を求めています。

それと、自分は、自分の認知を正したくて、本を結構読んで、人生の参考にしていました。
人生を救ってくれたような本も何冊かあります。
前回はそういう本は、そのままにしておいたんですが、今回はそういう本までしまいこみました。
だって、本って、「私の言葉」じゃないじゃないですか。
そりゃ、同じ本読んだって、捉え方は人それぞれだし、本にどう影響されるかも人によって違うと思います。
でも、それでも、私は、「自分の言葉」で、「自分の考え」で生きていきたいんです。
自分で答えを探したいんです。
なので、今まで私を助けてくれた本たちに感謝をしつつ、一旦距離を置くことにしました。

私の答えは、私にしか分からないのだと思います。
というか、今の状態では私にも分からないです。
だって、「答え」の前に、「問い」すらはっきりと分かっていないのですから。
私は何を思ってもやもやしているのか。何に対しての答えを探しているのか。
それすらも分からないのです。
だから苦しいんです。

もしかしたら、何年もかかるかもしれませんが。
それでも探し続けよう、考え続けようと思います。
そりゃ、ずっと考え続けてたら疲れますし、息抜きもしつつね。
あと、ヒントって訳も分からない所に転がっていることもあるので、寄り道や回り道もどんどんしていこうと思います。

そんなこんなで、ぐるぐるメリーゴーランドで苦しい訳ですが、ずっと苦しんでいる訳にもいきません。
だって、「生活」がありますから。
生きているだけで細々した雑用って沢山湧いてくるものだし、少なくとも食べて、清潔を保って、寝る、ということをしないと生きていけない訳です。
そして、最近簡単なものですがバイトを始めたので、それにも取り組まないといけません。
いつだって現実はすぐそばにあって、嫌でも帰らなければならないのですよね。
本当はずっとこの自分の命題に向き合っていたい所なのですが(笑)

でも、人生何があるかわかりません。
やりたくもないバイト(笑)にヒントがあるかもしれません。
それに、そういう現実があるから、調和を保っていられる部分もあるのかもしれません。

なんかどうまとめたらいいのかさっぱり分からなくなったので、この辺で終わります。
この先しばらくは、目の前の雑用をこなしつつ、自分と向き合っていきたいと思います。

被写体を経験してみたこと、成長したこと、自分の価値。(3月9日のカウンセリングで話したこと)

もう4ヶ月くらい前のことですが。
今年の2月に、「ポートレート」などに憧れて、私のことを撮ってくれるという方が見つかったので、初めて被写体を経験することになりました。
その時のことを書きます。

撮影当日は、カメラマンさん(男性)が泊まっているホテルの部屋で撮影するということで、その部屋に行きました。
なぜそんな危ないことをしたかというと、もし性行為など迫られても「まぁ、いっか」、と思っていたからです。
今は考えや自分の扱いを改めましたが、この当時は機会があれば結構誰とでも性行為していました。
なぜそういう風になったのか、などは、また別の記事で改めて書きたいと思います。
今日は2月の撮影で起こったこと、その時私が感じたこと、そのあと考えたこと、などを書いていきます。

結果から言うと、案の定性行為を迫られました。
確かに、男性に下心があったのも事実だとは思いますが、私が「そういうことをしてもいいですよ」という風な雰囲気を醸し出していたから、というのも大きいと思います。
その時は別に性行為自体が嫌だった訳ではなかったので、普通に行為を受け入れて、行為を済ませました。
だた、性行為をする前と、した後で、カメラマンさんの撮影に対する態度がかなり変わってしまったのが、悲しかったです。
性行為をする前は、私が初めて被写体をするということもあってか、ポーズ指定などアドバイスもしてくれて、かなり丁寧に撮ってくれていました。
ですが、性行為を終えた後は、ササッと何枚か撮って「はい、終わり」。という感じに。
「セックスをしたら後は用済み」と言われているみたいで傷つきました。
あと、私は体型がぽっちゃりしているので、「セフレとしてはいいけど被写体としてはね〜」というようなことも言われて、それも相まってかなり精神的に追い詰められました。
「自分が悪い、自分のせいでカメラマンさんのやる気が出ないんだ」とかそんな思いがぐるぐるして、カメラマンさんの顔色を伺ったり、びくびくしてしまっていました。

でもここで、思考の転換が出来ました。
まず、被害者の座を降りよう、と思いました。
「自分のせいでカメラマンさんのやる気がでないんだ」って思いっきり被害者的な思考ですよね。
実際、カメラマンさんは「君のせいで撮る気が起きない」など一言も言ってませんでした。
なので、相手の立場に立とうとしてみました。
具体的には、「相手の顔色を伺って勝手に相手の内心を決めつけ」たり、「相手の発言にそれ以上の意味を持たせるのをやめ」ました。
すると、「私は関係なくて、ただ単にカメラマンさんの気分が乗らないだけだろう」「きまぐれだろう」「もう沢山撮ったから撮るのに満足してしまっただけだろう」などと思えて、少し気が楽になりました。
思考の転換をする前は、泣きそうで、「もう帰りたい」という状況だったのですが、思考の転換が出来て、なんとか撮影を最後まで乗り切れました。
室内での撮影が終わって、カメラマンさんの、「野外でも少し撮ろう」という提案にも応じることが出来ました。
一応、笑うこともできるようになっていました。
まとめると、思考の転換によって、
・顔色伺いがましになった(完全にやめるのは出来ませんでしたが)。
・カメラマンさん任せじゃなくてその時の精神状態が許す限り、積極的に主体的に、撮影に参加してみることができた。
このように、だいぶ精神的姿勢を変えられたと思います。
やはり辛い体験ではありましたが、自分の精神的成長を感じることができました。


撮影後の心境としては。
「セックスで用済み」のように、自分を粗末に扱われたことはやはり悲しかったです。
やっぱりその悲しみは少し引きずりました(今思うと、自分を安売りしていたんだから、他人からもそのように扱われて当然、なんですけどね^^;)。
ちなみに現在はそのような心境は吹っ切れていて、元気いっぱいです(笑)
私は、SNSに自撮りやコーディネートなどを載せているのですが、この件を境に心境が変わりました。
この撮影の前は、自分を商品のように扱っていたので、例えばいいねの数など、自分の価値を外側に委ねていました。
でも今は、「自分の価値は自分で決めよう」というような姿勢でやっています。
自分の現状を認め、自分の個性的な部分も気に入っています。
そりゃ、人間なので、たまにその気持ちが揺らぐこともありますが。
いいねの数などは、現在でも気になってしまいます。でも、前より気に病まなくなったと思います。

それと、人間の価値は外見だけでは決まらないんだな、ということを実感しました。
なので、外見ばかり気にするのではなくて、内面の方も見つめていこう、という気持ちが強くなりました。
もっと広い意味で魅力的な人間になりたいな、と思うようになりました。

あとは、芸能人なども含め、自分を商品として売り出していく職業って並大抵のことじゃないんだな、と思いました。
この時の私みたいに、ふらふらした気持ちや、ちゃらんぽらんな気持ち(たとえば「ちやほやされたい」とか)では勤まらないんだな、ということを実感しました。
たとえ趣味だとしても、自分以外に協力してくれる人が出来た時点で、やっぱりそれなりの責任って生まれるんだ、ということにも気づきました。
この撮影でははそういう姿勢が欠けていたな、と反省する部分もあります。
遊びのような気持ちで臨んでしまっていたので。

なので、表現活動している人ってすごいんだなぁ、と改めて思いました。
たぶん、自分の価値を自分で決められるからそこ、コスプレイヤーだって、グラビアアイドルだって、AV女優だって出来るんだろうなぁ。
真面目に向き合っているんだろうし、ただ「ちやほやされたい」という気持ちだけで大成してる人なんて居ないんだろうな、そこにはプロ意識があるんだな、という風に思いました。


この撮影では辛い思いもしましたが、勉強になったことが沢山ありました。
やっぱり、やったことないことに挑戦してみるのは大変なことですが、得る物も多いですね。
長くなりましたが、書きたいことは書けました。
ここまで読んでくださった方(もちろん途中まででも読んでくださった方も)、ありがとうございました*